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されど愛しきGLORY DAYS

生きる(2)

20090604110344
祖母というヒトは母の母でありながら、
自分達兄弟にとっても母親のようなヒトだった。
おそらくは、12人いた自身の兄弟の中でも、
末子からすれば母親のようだったのではないだろうか。
私が生まれて物心ついた頃には実家である美粧院の主で、
大変にしっかりとしたヒトだった。

80代になってもまだ、母と一緒に店に立っていた。
少しずつ腰も曲がって小さくなっていったが、
それでもその年齢にしては元気なヒトだったはずだ。

その背中を見て育った。

通夜にはたくさんのヒトが来てくれた。
住職や区会長がしてくれた祖母の話は時々小さな笑いを誘い、
悲壮感だけが漂うことなく和やかな気持ちになれた。
涙はなかなか止まることはなかったが、
それでも笑って少し気持ちが楽になった気がした。

亡くなった人間を目の前にしても悲しみから逃れようとするのか、
気持ちが楽になったなどとは何とも情けない話だ。
でも、悲壮感いっぱいの中で送り出すよりも、
少しでも笑ってあげたほうがずっといい気がした。

笑い声が聞こえたほうが、逝く本人も安心するだろう。
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Genre : ブログ 日記
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